講習会のコンセプト
声楽は、楽器のように音が出る仕組みが見えず、
一人ひとり持って生まれた楽器=声帯や共鳴する身体つきが違うので、
忍耐強く少しずつ感覚に頼りながら時間をかけて技術を磨いていかなければなりません。
録音した声を聴いてみると、自分が思っている自分の声とあまりに違うので驚く人が多いはずです。それは、身体の内部で骨を伝わって振動する「内側の声」も一緒に聴いているからです。
楽器のように自分の声を客観的に聴くこともできないので、定期的に聴いてテクニックが正しいかチェックする先生がいないまま自己流の練習で突っ走ってしまうと危険な事もあります。
昔のイタリアの歌手は先生の前以外では練習しなかったという話を読んだことがあります。
今のように録音してチェックすることができなかった昔には大切なことであったろうと思います。
良い響きの時の身体の感覚を覚えること、それを先生がいなくても再現できるようになると、
歌手は人前で歌うレベルに達することができるのです。
だからこそ、鍛え抜かれた歌はどんな楽器よりも心を打ちます。
音が発生する場所である声帯、その振動を伝え増幅して伝える身体の中の共鳴腔、
息を支える横隔膜。
これらがどう働いていて、どう使われるべきか、歌をやっている人なら誰でも頭では知っています。
でも直接見たり見せたりできない場所で重要なことが起こるので、
歌のレッスンにおいて様々な疑問が生じます。
「支える」ということ。
息はどこに入るのか、どう使うのか。
「開ける」ということ。
共鳴とは。
喉を開けるということ。
舌の位置。
話すときとはまた違う言葉の問題。
高音で「イ I 」の母音があると詰まってしまう場合、どう練習したらいいのか。
母音唱法ヴォカリーゼで一番やりやすいのは、どの母音?
歌詞をつけるとうまく歌えない場合どうすればいい?
イタリア語ドイツ語日本語の違い。
ドイツ語で歌いたいけど舌がまわらない。
ビブラートとトレモロの違い。
トリルはどうやって練習するの?
コロラトゥーラの練習法って?
日本人特有の問題点って?
ここに揚げた例について一つでも思い当たる点のある若い歌手の皆さんや、声楽を教える立場で
具体的な指導法を模索中の方々に、私が18年のドイツ生活で学んだ合理的な練習法、
指導法を紹介し、お互い聴きあって勉強する会を定期的に持ちたいと思います。
私の通った回り道
私は大阪で生まれ育ち、勉強しました。3歳からピアノを習い、15歳で声楽を始めました。最初の先生はアルト、柔らかい素敵な声で憧れましたが、私の声とは全然違います。
憧れるものと持っているものがあまりに違うと悲しくなることの方が多いものです。
大学卒業後、最初の先生が送り出して下さった東京のソプラノの先生のところで
本当の声を見つけてもらいました。
自分のままでいいんだ、と言っていただいたというべきでしょうか。
声に合ったものを歌うと楽です。自然だからです。
そこからコロラトゥーラを練習するようになりました。
オペラ「魔笛」の夜の女王役で出演が決まった時、仕事でお世話になっていた指揮者の
外山雄三先生の御配慮で、東京のアルトの先生にも見ていただきました。
発声だけでなく、人柄もとても素敵な先生でした。
最初は留学が目的でなく、少しでも歌詞が理解できるようにと大阪のゲーテ インスティトゥートで
習い続けていたドイツ語が幸いして試験に合格、ロータリー奨学金をいただけることになった時、
私は既に音大の年齢制限に引っ掛かる年になっていました。
聴講生でもいいから沢山いいオペラや演奏会を聴いて帰ろうと、
希望した行き先はオペラ劇場が3つあり、世界最高のオーケストラが聴ける街。
最初にお世話になった先生のアドバイスで、オペラ専攻と同じ量のレッスンが受けられる声楽教育を併願し、ベルリン芸大の正式な学生になることができました。
個人レッスンが週2回1時間ずつ、コレペティが一時間、
歌手や俳優が受けるドイツ語の発音レッスンが1時間、副科ピアノ1時間、
毎日何かの実技レッスンがあり、音楽教育のゼミナールや声楽の指導法の授業、実習、レポート、
大変忙しい学生生活でした。
ソプラノの先生に替わってからは学外オーディションに合格し、ドイツ国内をパーセルのオペラを歌って巡業したり、現代オペラの初演で複雑な楽譜を暗譜したり、ベルリン大聖堂で歌わせて頂いたり、
教会音楽との出会いもこの頃でした。初仕事はバッハのクリスマスオラトリオで、ティンパニが古い楽器なのに感動しました。古楽器のオーケストラ・コンチェルトブランデンブルクとオペラを歌った時に、初めてリュートと共演して、その繊細な美しさに打たれました。ポツダムのオーケストラが解散した時に楽団のコンサートチェンバロを全財産をはたいて購入してしまったくらい、バロックの楽しさに目覚めました。絶対音感が災いして上手に弾けないのですが・・・・。
卒業論文を書いていた頃にはベルリーナーアンサンブル劇場で歌うプロジェクトの稽古と同時進行だったので、Komische Operの稽古場へ行き来する合間に自宅でPCに向かう日々。
声楽の教え方を勉強しながら舞台経験も積むことができて幸運でした。
講習会で出会った元国立オペラのイタリア人プリマドンナには個人的に師事させていただき、
昔のイタリアの先生が教えたのと同じ事を習いました。
私はドイツに居ながらにしてイタリアのテクニックも習えた訳です。
先生はフィオルディリージ、ヴィオレッタ、 タンホイザーのエリーザベットなどをレパートリーとし、
旧東独時代の来日公演ではクレオパトラを歌いました。
私の声よりドラマティックですが、基本のテクニックは同じ。とても根気良く教えていただきました。
亡くなったドイツ人指揮者の御主人との間にはハンサムな息子さんがいて、
最初はドラマ俳優としてドイツの民放で活躍し、
今はテノール歌手としてクラシック系の番組に出ています。
本音を言うと、歌手になる勉強だけする方を希望していました。楽だから。
でも自分の先生以外のレッスンを見学してレポートを書き、器楽教育も勉強して
自分が歌う上でも大変為になる勉強ができました。
講習会で教えていただいた先生方では、
ハンガリーの名コロラトゥーラ・シルヴィア ゲスティSylvia Gesczty先生、とても小柄でパワフル、
16分音符のまとまりの歌い方を力説していました。
ミュンヘン音大のハンノ ブラシュケHanno Blaschke先生、無理のない発声、暖かい人柄。
短期間だけお世話になったベルリン国立オペラの名スブレット歌手レナーテ ホフRenate Hoff先生は、役柄同様(グレーテルなどの録音が残っています。)とっても可愛い方で優しく、迷いの多かった私にソリストの声だと言ってくださった恩人。
そしてベルリン国立オペラの元プリマ・チェレスティーナ カーザピエトラCelestina Casapietra、
私の第一の師です。
ジェシー ノーマン、ルネ フレミングなどアメリカ人の大歌手の伴奏や室内楽で活躍されている
フィリップ モルPhilipp Moll先生は、ピアニストとしての意見を出して下さいますが、大きな舞台で演奏されているにもかかわらず、優しいお人柄、とてもフレンドリーな先生です。
世界的なソプラノ歌手・ルート ツィーザックRuth Ziesack先生もコンサートや音大での指導で多忙な中、私や生徒のために時間を取ってくださいました。
本当に素晴らしい音楽家は人柄も備えているのだと思える先生方に出会えたことが私の財産です。
どの先生も主におっしゃることは決まっています。
一人の先生から受け取ることに限りはある、その点で、多くの良い先生に出会えたことは幸運です。
レッスンを見学して勉強させていただいたのは、
世界的に活躍しているクリスティーネ シェーファーの先生であるフィグーアFigur先生、
多くの良い生徒を出しているメゾのエッガースEggers先生、
元ソニー社長大賀さんの師でもあるブラウアー先生・・・・。
ワグナー歌手のルート ツァーデック先生、白井光子先生、
素晴らしい声のソプラノで残念ながら亡くなってしまったボサバリアン先生・・・。
今は亡きスペインの名テノール・アルフレード クラウスは天性の歌い手、すばらしすぎて生徒が萎縮してしまいました。
イタリアオペラの名花ミレッラ フレーニは頭声の響きがすべて、とても厳しいレッスンですが、
インタビューには微笑んで誠実に答えてくださいました。
(クラシックジャーナル034号)
ドイツの名メゾ・クリスタ ルートヴィッヒのレッスンは、和やかで暖かくユーモアもありました。
卒業試験ではリサイタル形式の演奏の他に、公開レッスンで2人の生徒を教えました。
人前で自分の母国語ではない言葉で教えることに最初はとても勇気が必要でした。
慣れてしまうと、今度は「これを日本語でどう説明するのだろう。」と思うようになったのですが。
ベルリン時代のドイツ人の生徒たちには年上の人もいました。
若い生徒のお母さんも習いに来たり、逆に生徒が娘を寄こしたり。
のっぽのバリトンの頭には手が届かなくて大変でした。
合唱団のエキストラに行って、そこで習いたいと言って来た同年代の生徒とは、理解しあえる友人になりました。ドイツ語がたどたどしいフランス人の生徒とは最初英語でレッスンしていました。
独韓ハーフの女の子にはピアノと歌を教え、次を託したピアノの先生が良かったのか今やベルリンで医学部と並行して芸大でピアノを勉強しています。
エキストラとしてポーランド演奏旅行に同行した混声合唱団で発声指導をすることになり、
その後ベルリン独日合唱団の合唱指導者になりました。
ハイデルベルク近郊に転居し、ベルリンでの合唱団の指導や生徒を手放し、
仕事をゼロから再スタートした時点で、日本人の生徒を教え始めました。
今までに長期留学5人、短期2人の音大生、音大卒業生、大学院卒業生を受け入れました。
短期だとこれからという時に終わって残念なのですが、長期間いる人は日本人特有の問題点を直し、耳と身体が慣れてくると半年目くらいから見違えるように伸びてきます。
演奏を聴きに行くことも大切で、マンハイム、ハイデルベルク、フランクフルトなど近郊のオペラに行ってきた生徒は口々に、「日本と全然違います。」と言います。
新しい土地で知り合いが誰一人なかった頃、ベルリン大聖堂でお世話になった牧師さんに紹介された教会でオルガンの代理奏者を始めました。大阪で副科オルガンを一年履修したことがあるものの、
当時は何も弾けませんでしたから、一から始めたようなものです。
失敗ばかりしていた最初の頃も牧師さんが暖かく見守って下さり、カントルのレッスンを受けるようになってD資格試験に合格。2009年からワインハイム市マルクス教会のオルガニストとして毎週弾いています。この仕事の利点はテクニックの安定した生徒に礼拝や結婚式で歌う経験を積ませることができることです。信者さんたちも喜んでくれます。
昨年教会での演奏会を立ち上げ、第一回はSpeyer大聖堂のオルガニストと、私が才能を見込んで神戸からスカウトした若手トランペット奏者を迎えて行い、地元新聞2紙に良い評が出ました。
第二回はブリュッセルからオルガニスト、フランクフルトからホルン奏者を迎え、生徒も出演しました。
2011年に第三回を日独友好150年記念として行う予定です。
長期滞在中の生徒だけでなく帰国した生徒も呼んで盛大に行いたいと思います。
日本に帰った時、初めてお会いする人のレッスンをする度に同じことを説明する必要があるのに気が付き、講習会としてお互い聴きあってレッスンする方が合理的ではないかと思うようになりました。
毎週レッスンしている人が理解するのに半年はかかるものを、短期間にどれほど出来るかわかりませんが、定期的に繰り返すことができれば、留学できない事情のある人にも、ドイツで普通に教えられていることを伝えられると思います。
留学を考えている方には希望によりドイツ語でもレッスンします。
海外で講習会に参加しても先生の言うことが理解できなくて、わからなくても頷くだけで終わってしまう人がいて、残念です。(わからなくても頷く日本人の習性には皆困っています。)
私自身も最初の頃は言われたことの半分しか理解できなかったと思います。
私がドイツ語で習ったことを日本語でお伝えするにあたって、どうしても日本語では100%ぴったりの言葉が見つからないかもしれません。
他の先生がおっしゃったのと違う言い方をするかもしれません。
よくわからない、という時には、どうぞ何でも質問してください。
大切な事を確認するために貴重なのです。
山頂に向かう道が何本もあるように、同じ事を言うのに違う表現を使うことがあります。
Aさんには必要だから言うけどBさんには言う必要がない、ということもあります。
いい歌手になるために、良い指導者になるために、私の経験がお役に立てば嬉しいと思います。
教えていて、今まで一番嬉しかったことは、私の元に2年半いた生徒が、
ベルリン芸大教授エッガース先生やニュルンベルクの先生、
ドイツで活躍して帰国後、東京で教えてらっしゃる釜洞祐子先生に、
技術的には言うことがない、いい勉強をしてきたね、と言っていただいたことです。
次に続く若い人と出会いたい、そういう思いで講習会を計画しました。
18年前の私が求めていたものを与えられるような指導者でありたい、と思います。
Emi Abo – Jonentz
安保ヨーネンツ恵美